Trick and treat!
1.
「少年よ!その袋に入っているのは菓子と見受けられるが、如何に?」
「‥‥は?」
街がハロウィンムードに包まれている今日。
チョコレートや飴などを購入してコンビニから出て来た少年、桐島康紀(きりしまやすき)は、突然珍妙な格好の男に話し掛けられて眉をひそめた。
「菓子ではないのかな?」
男は大きなハロウィンかぼちゃ‥俗に言う、ジャックオランタンを被った燕尾服姿で、手に持った長いステッキに負けず劣らず長い手足を使ってオーバーなリアクション‥もとい、芝居がかった仕草をする。
「いや、お菓子だけど‥何なんだよ、いきなり」
「驚くのは無理もなかろうが、恐れることはない。私はしがないかぼちゃなのだから」
ふざけた格好のかぼちゃ男は、両手を広げたまま首をかく、と傾げた。
引き気味になっていた康紀は、今日がハロウィンであることを思い出し、ほっと息を吐いた。
「‥なんだ、ハロウィンの仮装かぁ‥‥I'm scared!」
よくやるなぁ、とため息をついた康紀は、カボチャが差し出しているシルクハットの中に、ビニール袋から適当に取り出したお菓子を投げ込んだ。
「じゃ、僕はこれで‥」
コンビニというよく人の出入りがある店の前で長い間この珍妙な人物と話しているのは、勘弁してほしい。
早くここから立ち去ろうと背を向けた康紀を、かぼちゃ男の陽気な声が追いかけてきた。
「待ちたまえ、少年。これはもしや‥‥『美味いバー』ではあるまいか?」
「だから何?」
棒状の袋に入った菓子を長い指でつまみ上げているかぼちゃ男を、少年はうろんな目で見やった。
『美味いバー』とは、昔から親しまれている駄菓子で、基本は塩見のある味なのだが、様々な種類が出ている。
康紀も昔から愛好しており、つい先程、秋の新作、ジャーマンポテト味を購入したばかりである。
「おお、なんたること!私は、塩分の著しい菓子は食せぬのだよ」
かぼちゃ男はいかにも悲劇的な動作で、大きな頭を抱え、ゆっくり首を振った。
「‥そういう病気とか?」
それは少し可哀想かも、と思った康紀だが、次の台詞を聞いてそんな気持ちは瞬時に吹っ飛んだ。
「単なる嗜好の問題だな。これの何処が『美味い』のか分からない。チョコレート味のモノは良いのだがね」
「‥‥‥‥」
何て我が侭なヤツだ、と思ったのは、ばっちり康紀の顔に浮かんだはずだが、目の前の陽気なかぼちゃは特に気にした素振りを見せず、話を続けた。
「しかしながら、私に遭えた事は幸運だ、少年。私が、この街を魔女から護ってしんぜよう」
かぼちゃの言った『会う』という字が、康紀の頭の中で「事故や災害に遭う」という意味で使われる『遭う』に変換された。
「もっとお菓子が欲しいのならあっちの方でやってるハロウィン行列に加わって。魔女だかなんだか知らないけど」
「やや、少年が魔女を知らぬのも仕方ない話だ。あれは神出鬼没だからな。只一つ確かなのは、ハロウィンの日に現れ、とんでもないことを引き起こして去っていく、趣味の悪い女だということだけだ。あれを知る者は‥そうだな、かぼちゃ魔女と呼ぶ。あれの言葉に騙されぬように」
今思いついたかのような言い方に、いよいよ胡散臭さは募るばかりだ。
「人の話を聞いてってば‥」
「だが、案ずることはない。私が来たからには、そんなことはさせないぞ。その代わり、このシルクハットに貴殿の持つ甘い菓子を‥」
もういっそこの場から全速力で逃げてしまおうかと康紀が考え始めたそのとき、その場に澄んだ高い声が響き渡った。
「ちょーっと待ちなさい、かぼちゃ男!」
「また何か来るの!?」
「む、来たようだな、かぼちゃ魔女」
もう嫌だ、と頭を抱えた康紀と、シルクハットを被って身構えたかぼちゃ男の前に現れたのは、これまた妙ちきりんな格好をした女だった。
「あなたと同列扱いしないでくれない?ジャック・O・リュミエール」
満月をバックに、あろうことかコンビニの屋根からこちらを見下ろす彼女は、どこで染めたのか、オレンジ色の髪にオレンジ系統の色の服、更に頭には魔女の帽子を被ったジャックオランタンの帽子を乗せている。
つまりは、帽子を二重に被っているようだ。かくんと垂れた帽子の先に下がったランプが、煌々と夜の闇を照らしていた。
「お前にフルネームで呼ばれる義理はないぞ、かぼちゃ魔女よ」
「そんなセンスの悪い名前で呼ばないで!かぼちゃ魔女なんてそのまんまじゃない!」
腕を組んだ女―といってもまだ10代に見える顔だが―は、不機嫌な顔で、かぼちゃ男を見下ろした。
「ではどう呼べばいいのだ」
「‥自分で考えなさいよ!」
康紀が二人のやりとりを、仲が悪いのだなぁと他人事のように―というかむしろ現実逃避気味に―見ていると、かぼちゃ魔女はコンビニの屋根からふわりと康紀達の居るところに降りてきた。
「え?」
そう、2mを越える高さから飛んで、そのまま、まるで羽のように柔らかく着地したのだ。
「ま‥まじでホンモノ‥?今の、ワイヤーとか使ってないよな‥」
康紀が驚いて固まっていると、降りてきた魔女が話し掛けてきた。
「ねぇ、キミ!」
「な、ななな、なに?」
「コイツに騙されちゃダメよ!コイツはジャック・O・リュミエール。見てのとおり、頭の狂ったとしか思えないような趣味の悪い格好をしてるんだけど、とんでもない嘘つきでね。ハロウィンの日になると、純心なこどもを美味い言葉で欺いて、お菓子を出すと化け物の姿に変えてしまうの」
「そうなの?」
康紀が反射的にジャックと呼ばれたかぼちゃ頭に顔を向けると、当人はステッキをかつんと鳴らし、肩をすくめた。
「まさか。大嘘吐きはそちらの方。魔女のよく使う手だ」
「何ですって!いっつもいっつも同じ格好して、古くさいのよその燕尾服!」
「私は何処かの誰かのように、毎年毎年服を考えるより有意義な時間の使い方をするのでね。それにこの燕尾服は、私の良き友である腕利きの仕立屋へ特注で仕立てたモノだ、侮辱してほしくは無い。大体、その服は派手すぎて、悪趣味だ」
「派手じゃないわ、あなたが古いの。話し方も古ければ頭の中も古い。19世紀の夜会でも気取ってるの?」
「古くとも、馬鹿よりはマシだ。お前の場合、登場の仕方からも馬鹿さ加減が滲み出ている。なんとやらと煙は、高いところに上りたがるというしな?」
「その尊大な言い方、いちいち癇にさわるのよね。その顔もだけど」
「残念、仲間内ではこの格好と喋り方が人気なのだ」
「その『仲間内』も憐れむべき頭の持ち主ばかりだけどね」
「その点は僅かながら同意出来るが、私の友は皆素晴らしい人物ばかりだ」
「変人なんでしょ、要するに」
終わりが無さそう、もとい物凄く低レベルな言い合いを呆然と見つめていた康紀は、ふとあることに気が付いた。
そうだ、この隙に逃げればいい。
思い立ったが即実行。二人の視界に入らないようにしながら、康紀はそろりそろりと移動し、コンビニの裏へ廻った。
そして二人が追ってこないことを確認すると、我が家を目指し、猛然と逃走した。
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たったの数十分ぶりなのに、目の前に現れた我が家の扉が、康紀にはたまらなく懐かしいモノに思えた。
「‥ふう、全くなんだったんだ、アレは」
ハロウィンの雰囲気に浮かれて外などに出るのではなかった。まさか、あんな連中がいるとは。
思えば、こんなに走ったのは久しぶりな気がする。ぜえぜえと息を吐きながら、懐に入れた鍵を鍵穴に差し込んで回し、がちゃりと硬質なマンションの扉を開いた、次の瞬間閉めた。
「‥‥‥すー、はー」
とりあえず落ち着こうと、康紀は大きく深呼吸をした。
今見たものを嘘だと、幻だと、悪い夢だと心から思いたかったが、しかし、あんな鮮やかなオレンジ色のものが、果たして我が家に置いてあっただろうか。
いや、絶対に、確実にない。と、いうことは。
「何で居るんだよ‥!!」
扉の覗き窓には紛れもなくオレンジ色の物体が映し出されている。康紀はもう泣いてもいいかな、と心の中で呟いた。
いや、実際涙で前がぼやけていたかもしれない。兎に角、帰ってきた我が家に何故だか、本当に何故だか分からないし、出来れば分かりたくないのだが、つい先程逃げてきたコンビニの前の変人二人が入り込んでいた。
「‥警察にでも、通報するか‥」
渇いた笑いが自然と口から漏れた。
とりあえず、変人の巣窟と化した愛しい我が家を見捨てなければいけないのは心苦しいのだが、この状況で中に入るという発想が出てくるほど、少年は剛胆ではない。というか、その前に何故家を知っているのか、鍵が掛かっているのにどうやって入ったのかなど、聞きたいことは山ほどあったが、兎に角もう変なことに巻き込まれたくなかった。
‥‥‥既に変なことのまっただ中にいるのだが。
100も歳をとったような顔でがっくりと肩を落とした康紀が、近くの交番へ向かうべく、とぼとぼと歩き出したとき。
「少年よ、貴殿の家だろう。入らぬのかな?」
かぼちゃ男の陽気な声が、後ろから追いかけてきた。
「ぎゃあぁぁぁぁーーーー!!」
思わず悲鳴を上げて逃げ出そうとした康紀の肩にかぼちゃ男の長い指がかかった。
「何故逃げるのだ、いきなり。人の顔も見ずに逃げるとは失礼では」
「ぎゃー!ぎゃー!助けてー!」
「少し口を噤んだほうが良いぞ。大きな声を出すと近所に迷惑だ」
僕も今、物凄く迷惑してますと康紀は言おうとしたが、そんな余裕も存在しなかった。
天上天下唯我独尊とか素で言いそうなかぼちゃ男は、パニックになって叫んでいる少年を引きずって、開いた扉の中に入っていった。
「遅かったじゃない」
偉そうにテーブルの上で足を組んで座っているのは、言わずもがな、かぼちゃ魔女。
「‥テーブルの上に座るのは、行儀が悪いぞ」
魔女はふん、と言いながら顔をそらしたが、次の瞬間姿を消し、近くの椅子の上に現れた。
康紀の脳裏に、『瞬間移動』という単語が浮かんで消えたが、唖然とする間もなく、かぼちゃ男に引っ張られ、起き上がった。
「一体、あんた達はなんなんだよっ!?」
「まあまあ、まずは暖かいお茶でも飲んで落ち着きたまえ」
半ば無理矢理、我が家の椅子に座らされ、抗議の声を上げる康紀の目の前に、湯気を立てるカップが差し出された。
「あ、ども‥‥」
しかたない、とりあえずゆっくり逃げる機会をうかがうか、出て行ってもらう方法を考えよう‥と思いながら、康紀は妙にオレンジ色をした中の液体を見つめつつ、カップに口を付けたのだが。
「ぶふぁっ!?」
この変人の差し出すものを素直に飲むのが、そもそも間違いだった。
「がはっ‥‥けほ、ごほっ!!な゛‥なんだこれ!なんだこの殺人的な甘さの液体は!」
これまで経験したことのない程の甘さにむせ返って叫んだが、隣で同じ液体の入ったカップを持っているかぼちゃ男は、大きな頭をかしげた。
「私の特製、かぼ茶だ。少し苦めにしたのだが」
「かぼ茶!?たとえ原料がかぼちゃだとしても、甘すぎて風味が消え去ってるよ!これで苦めって、アンタ味覚ヤバイんじゃないの!?」
康紀の言葉を聞いてか、手に持っているカップをじっと見つめて軽く匂いをかぐように頭を近づけたかぼちゃ男は、突然顔を上げ、得心したという風に手を叩いた。
「おおしまった、つい同じ感覚で使ってしまったが私愛用の砂糖と一般で流通している砂糖は糖度が違うのだった!」
「やっぱり。いくらなんでも、この甘さはないもんな‥」
「私愛用の砂糖の方が2倍ほど甘いのだよ!」
「市販の甘い菓子とかむしろ苦いだろ、あんた!!」
「その苦みがくせになる」
ちっちっち、というふうに長い人差し指を振ったかぼちゃ男を前に、康紀はげんなりした気分になった。
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